vol.18 2000年企画「餃子2000個食べる―売込隊ビーム解散の危機―」
昨年暮れ、ある稽古場でのこと、2000年を迎えるにあたり、売込隊ビームも「2000年代突入を祝わねば!」と、いつものように稽古そっちのけでニューミレニアム祝福企画について話し合った。
「2000時間休まず歩き続ける」「2千円で一ヶ月生活する」「2千人と握手」など、様々な企画が提案されたが、最終的に「2000個餃子を食べる」に決定した。今回出演する役者9人と作家1人、合わせて10人で餃子2000個を食べるというもの。単純計算で1人200個。果たして、我々はこの微妙な企画を達成できたのだろうか。
「微妙な企画だぁ!?」企画王子宮都は顔を紅潮させながら言う。1人200個餃子を食う。出来そうじゃないか。・・・いや、どうだ?1人200個食えるのか?その昔、あの有名な餃子専門店「点天」でバイトした経験を持つ横山は、ある事実を思い出した。「よく食う客でも100個がいいところだ」と。「どうなんだ?」「食えるのか?」「食えるだろう」「食えないわよ」「食えないわよ」様々な意見が飛び交う。そう、この企画微妙ではない。絶妙なのだ。実に絶妙なラインをついているのだ。 宮都はこんな重大発言もした。「この企画、達成できんかったら解散な」「何?」去年、第1回大阪演劇祭CAMPUS CAPにノミネートされた時もそうだった。「売込隊が大きくなるんやったら、こういうのを取りこぼしたらあかん。この辺確実に取っていかんと先はない。大賞取られへんかったら解散な」その時は、幸運にも大賞を獲得することができ、解散を免れた売込隊ビームだったが、また、その危機が訪れていた。言葉もない劇団員。すすり泣きの声もちらほら。「餃子2000個食べられなかったら解散」その言葉が我々に重くのしかかった。「やろう、やろうよ」「おおやろうぜ」「やろう」「やろう」「やろうとん」 誰からとも言わず、そんな声が稽古場に響いた。「早よ稽古やろうや」偉い人がそう言って場は沈まった。
2000年1月4日。新春も開けやらぬ最中(そんな言い回しはない)、我々は戦場となる横山家に集う。三谷、梅本、小山、本江、松本ら、地方出身者はこの日のために帰阪。大荷物を抱えたまま横山家へ足を向ける。 企画班の小山は2000個の餃子の材料、豚ミンチ2.5Kgと、30束のニラを、しかもニラはわざわざ刻んで持って来た。東京から、新幹線の一車両に悪臭を充満させてやって来た。太田はいつもそうだ。 太田は企画を甘く見る節がある。太田は実行日前日、徹夜で焼肉を食べていた。横山家につく早々「とりあえず寝るわ」と眠りについた。 そんな太田とは対照的に、宮都は前日の夜から何も口にしていないという。何と言っても解散がかかっているのだ。宮都はその意気込みを態度で示した。 本江は寝坊した。石川はバイトのため欠席した。 山田は何も考えていなかった。山田は、横山家に着くやいなや、冷蔵庫を開け、ビールを手にした。途中で足りなくなった豚ミンチを買いに駅までパシらせた時も、待ちくたびれた我々を前に「500円で掛かっちゃってさあ」と、パチンコに興じていたことを何食わぬ顔で告白した。
2000個分のネタをこね、皮に包んでいく。それが、どれほど気の遠くなる作業か検討がつくだろうか?「餃子一日100万個」の王将にはかなわないが、餃子2000個を作るのに5時間を要する大苦戦だった。中には、作るのに飽きてしまい、豆板醤やわさびなどをネタに混ぜるという悪ふざけをする者も。「シバルバ!」太田が外国語で注意する。そうこうしているうちに、ようやく2000個の餃子が横山家の台所に並ぶのだった。畳にして2畳分の広さを餃子が埋める。一同は、浮かない顔色でその情景を見つめる。これだけの餃子が、ここに集った人間の胃に入ると言うのか・・・。
さて、いざ食べる。2つのフライパンを使ってどんどん焼く。まずは、夕方からバイトで抜けなくてはいけない松本に限界まで食べさせる。「めちゃお腹減った」と言っていた松本。これは期待大だ。「うまいうまい」と食べ始めた。「じゃんじゃん焼いて下さい」と注文がくる。しかし、松本は即行ペースダウン。「味に飽きた」などと言い残し、わずか記録45個で横山家を後にした。「200個食うまで帰さん」という言葉も無視して・・・。
さあ、気を取り直して再開。松本の記録を見て少し不安になった我々は、競争心を芽生えさせるため、チーム形式にして食べる数を競うことにした。一番食の細い三谷と小山が取り合いジャンケンをする。結果、三谷チームは宮都、太田、梅本。小山チームは山田、横山、本江と決まった。1チームに割り当てられる数は(2000―45)÷2=977個(余り1)。石川と松本が脱落し、相当の量の餃子が我々の目の前に残されていた。山田は「俺、多分900個食っちゃうから、おまえら3人で77個食え」などと虚しく豪語する。諂うように笑う面々、同時に「解散」の二文字が脳裏を過ぎった。
我々は食べた。初めからガンガン食べる者もいれば、ペース配分を考えてゆっくり食べる者もいる。期待の山田は75個を食べ、エネルギー消費のため外へ走りに行った。宮都は「一口で5個、タレはあまりつけない」という独自の方法(たいした方法ではない)で個数を伸ばしていった。女は、4人中3人が生理というハンデを抱えていた。太田は「8時から新年会だ」と、ちょうど100個を食べて出て行った。「おい、あと100個食っていけ」という言葉も無視して・・・。
残されたメンバーは7人。その時、餃子は1260個残っていた。もうチーム分けに意味はない。食べた個数に関わらず、それぞれが限界に近づいていた。それでもまだ1人、1260÷7=180個を食べなくてはならない。どう考えてもおかしい。始めに与えられたノルマの1割しかまだ食べていないことになる。そんな数字が弾き出されると、一気に気持ちが萎えてくる。そんな時、我々に喝を入れてくれたのが梅本だった。宮都がその時点での最高記録120個を保持したまま眠りについている中、信じられないことに梅本は「あと一個で一位になれる」などと小学生みたいなことを言いながら、121個目を口にした。「真里恵ちゃんすごーい」スローペースながら、箸を止めない梅本を侮っていた。梅本はマイペースでその後も記録を伸ばした。触発されてか、皆も嫌々餃子を口に運ぶ。しかし、もう身体が餃子を受け付けない。「もう食えない」誰もがそう思っていた。
ここで「水餃子作ってよ」と、本江が懇願した。「水を含んで重くなる」と避けていた水餃子だが、気分を変えるために横山は湯を沸かした。焼餃子と違って、水餃子はものの30秒で出来上がる。手始めに20個作ってみた。「おいしそう」と、久しぶりに前向きな言葉と積極的な姿勢を見せる精鋭たち。あっという間に20個の水餃子は無くなった。「私ほとんど食べてないよ」とごねる本江。餃子を巡る争いが、この日始めて起こった。「水餃子」。油を使わないし、口当たりがいいので食欲が湧く。どうしてもっと早くに気が付かなかったのだろう。いや、そういった発言もあったのだが、横山が頑なに「水を含む」と拒んだのだ。俺の馬鹿馬鹿馬鹿。そうして、その後60個ほど水餃子を作り、梅本、本江を中心に平らげた。
そう言えば、いつのまにかこの二人に中心が移っていた。身長151cm(梅本)と148cm(本江)の二人に・・・。山田は「お前らアホやな」などと言っている。900個食べると言っていた山田が。宮都は「もう食べる関係の企画は嫌や!」と絶叫した。自分が言い出したくせに。もう当分餃子は見るのも嫌だと言うのが共通の意見だが、我々は残った餃子を、当初のノルマだった200個から本日自分が食べた分を引いた個数テイクアウトした。欠席の石川にも、しっかり200個のお土産が届けられた。
最終結果を発表する。1位・梅本真里恵(170個)2位・本江尚(164個)3位・横山拓也(150個)4位・山田かつろう(145個)5位・宮都謹次(140個)6位・小山茜(111個)7位・三谷恭子(110個)8位・太田清伸(100個)9位・松本藍果(45個)10位・石川愛(0個)。合計1145個。
果たして、売込隊ビームは解散し再結成した。
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